英米世界強国

 なんて話題があったことをふとこの写真を見て思い出した。昔から疑問に思っていたが、どうもJWの教義は完全に中東あたりのキリスト教圏のみしかみていなくて、それ以外の世界強国をド無視している。しかも、疑問にすら抱かないらしく、色々な教本の中から世界の歴史における東南アジア系の強国は一切出てこない。

 おかしなものだ。まさか全知全能の神が、まさか極東の強国を見落とすわけではあるまいし。神ならそんなことは見落とさないので、見落とした原因は恐らく、強国がいたことを探知できなかった人間のせいというのが分かる。

 聖書にもそもそも記載がないというのが一番の原因だが、二次的な要因は恐らく、JW教本を執筆している米国人からしたら、中国やインドに帝国があったことなどはどうでもいい話なのだろう。世界という定義をあくまでも自分たちの預言の都合の良い範囲でしか考えていないからこういうことが起きる。

 ネットで拾った西暦1年からの世界GDP史を見た。購買力平価ベースではあるものの西暦1年の世界は中国とインドで全体の60%。西暦1000年の世界は中国とインドで50%。中国の絶頂期が1820年頃で世界の33%、世界の3分の1を占めており、現在の米国より断然多くなっている。

 これだけ見ても、どう考えても世界の中の強国としてインドや中国は無視できない。だが、JWはこれらの強国の存在をド無視。それは、聖書に記載がされてないから。何で聖書に記載されてないかといえば、聖書を書いた人ガ中東の人で、それ以外の世界を知らず、これらの強国が聖書圏に特に何か及ぼさなかったから。に他ならない。神がいればそんなミスもするまいに。

 学生時代この辺が疑問にあって、何回か長老や僕に質問をしたが納得がいく答えは返ってこなかった。。。。そらそうか。不都合な真実なのだから。

2012年

Arlecchino2012-01-01


 あけまして。新年の抱負など、この場でJWネタ以外の抱負を言っても仕方がないので特に言わないが、今後このblogのあり方をどうしていくか頭を悩ませている。もはやかなりJWの実情に疎くなってしまって、書くことが出来ないレベルの情報源しかないので何かを言いたくても言う元ネタすらないのが実情。

 blogをはじめてから既にかなりの月日が経ってしまい、今から5年くらい前からは組織から遠ざかってしまってJWBlogとしては失格な位にJWネタが書けない状態になっている。そんな中でも見に来てくださる方々がたくさんいるのは嬉しいことだが、果たして、JWネタBlogとしては役割を果たせているのだろうかと疑問に思うことがある。

 脱JWの経緯や秘訣も書きつくしたし、現在の組織を知らないので組織についての批判もあまり出来ない。家族はJWだが興味が無いことを知っているので誰も私に話をしてこない。そして、5,6年前までは頻繁に連絡を取り合っていた脱JW仲間も最近は疎遠で連絡すら取れないことが多い。Blogも閉鎖したり、更新が無かったりして現在どうしているかも分からなかったり。でも、きっとどっかで楽しくやっているんだろう。

 今年も、更新は適当にやりつつぬるい感じでネタも適当に思いつけばJWネタを書く感じで進めていきたいと思う。2012年JWも縮小はしているものの、きっと今のまま倒れることなく元気なんだろうなぁ・・・。

立場立場

Arlecchino2011-10-14


 自分の姉や兄と話していて気がつくことがある。それぞれに立場があるということ。うちの家族は私以外全員JWに残ったまま。それ自体を悪とは思わないし、なんとも思うことはない。自分だって、選択肢を与えられてその中で選択した道なので。JWを選ぶ人たちがいてもおかしくない。


 兄や姉なんかを見ていると、比較的バランスはいいけど、結局洗脳されたままですごしている気がする。いや、洗脳されていないけど、立場上そう振舞っているような気がする。二世の人なんか所詮信仰なんてあるはずないからだ。正しい答えを言わないと刺される社会にいたので、正しい答え、周りが求める答えを言ってリップサービスしてしまう。それが二世。


 一世は、世の中のいろいろを見てきて、それの中で疲れてJWを選んでいるだから、それなりに確信がある。だが、二世にはそれがなく生まれたときから選ばされている。だからこそ、世を見てみたいと逆に思うのは当然ではないだろうか。そして世も見てつかれると、結局JWに帰ってくる。これが復帰組。そして大半は帰ってこない。帰ってこないという言い方はJW寄りだ。正しくは初めて信仰の自由に基づき決定したというべきだろう。


 何も信じない、もしくは他の宗派にいくということが二世にとっては始めての信仰の自由に基づく決定なのだ。JWを選んだというのは単に回りに併せただけで信仰の自由に基づく決定ではない。もしかしたら稀有な人材で本当に信じて選択している人がいるかもしれないけど、見ていてそういう二世はいなかった。


 よく、大学時代ぶっちゃけトークをして盛り上がることは多々あったけど、踏み込んではいけない領域「神いないんじゃない?」はさすがの私もたずねることはできなかった。長老批判くらいならいいけど、組織批判と神存在懐疑なんてのにはちょっと手を出せなかった。それが逆にこの組織の怖さを象徴していると思う。暗に批判をさせないのだから。


 姉たちとはこういう話をしてしまうが、さすがに姉たちも引くときがある・・。人にはそれぞれ立場があるから仕方ないけど。

失われた思い出

Arlecchino2011-10-10

 思い出って、今もその当時の関係が続いているもしくは続いていなくても、それに近しい親近感とかを思い出せるから「思い出はいい」と思うのだと思う。

 いまでもたまにJW時代に遊びに行った仲間との写真が出てくることがある。そこには、屈託のない笑顔で笑う男女の姿が。ビデオもとったから探せば本当はビデオも出てくるはずなのだが、そこまではしない。その当時仲がよかった姉妹と今結婚しているとかなら、それを懐かしんで見ることもあるだろうけど、その時関係していた人で今でも関係が続いている人はいない。そんな状況だと、その写真を見たりしても何も沸いてくるものがない。

 また、それを思い出したからといって、戻りたいという感情はもっと出てこない。今のほうが100倍楽しいからだ。あの頃はあの頃で、塀の中で楽しさを見つけて楽しんでいたけど、今は塀の外の広い世界でもっと楽しい世界を見つけたからその当時に戻りたいとは思わないのだ。

 思い出は失われた。失われたものを取り戻したいと思うような状況に置かれている人はまた組織に戻るのだろう。自分は、戻ることはないだろうな。でも、そんな心境だけど、その写真を破り去ることはしない。なんかスナップだけみたらいい写真だからだ。私は個人的な思いもあって、大会とかの写真は一切撮っていない。2000年地域大会の看板の前でピースなんて、、、そんな恥ずかしい写真はない。。。。

やり方が悪い

Arlecchino2011-09-20


 私の親族は、JWが原因でちょっと縁遠くなっている。従兄弟たちや叔父叔母だ。昔は仲良く遊んだ記憶が多かったのだが、あるときを境に縁遠くなってしまった。元々祖父母がJWが嫌いだったこともあってそれの影響も受けたのかもしれないが、やはり結局はやり方が悪かったのが原因な気がしている。

 親は不器用で、YesかNoかを決めたらそれを貫くところがあった。JW側からしたらほめられることなんだろうけど、親戚からしたらたまったものではない・・。いきなりあれはしないこれはしないと一方的に言われるだけ。理由は宗教の一点張り。多少妥協点を見出そうにも、妥協はしないやれないといわれるだけ。交渉の余地すらない。

 それで、子供たちが立派だとかだんな様が立派ならともかく、うちの親戚の中ではどちらかいえば我が家はその当時は落ちこぼれていた。だから、立派でもない家庭が宗教に入れ込んで親戚をかき回しているという印象しか与えなかったのだろう。いい証言どころか、悪い評判の根源になってしまっていた。そういう風になっているということを客観できない親はますます信仰の名の下に証言をして、親戚がドン引きしていくのだった。

 それから数十年が経ち、祖父の葬式で親戚に再会した。もちろん、うちの親は葬式に参加しないし、むこうからも参加するなといわれたから葬式の前の段階での出来事だったけど。親戚も死にまつわる再会だからか厳しいことを言う人がいなくて、やさしくもてなしてくれた。それを見ていてもともと、親戚も悪くなくて親のやりかたが悪かっただけなのではないかと感じた。親がもっとうまくやれば・・親戚と仲良く過ごしながらすごせただろうに。

 帰り際、うちの親が「今日親戚が優しかったのはエホバのおかげね」といっているのを聞いてだめだこりゃ〜と思ったけど。。。。。

読み方

 そういえば、JW独特の漢字の読み方があり・・・変換に苦労したり世間とずれたのを思い出した。

悪行・・JWではアッコウと読むが、そんな変換しない。
悪霊・・JWではアクレイだが世間はもっぱらアクリョウ。
エバ・・世間ではイヴ。アダムとイブいうと一般人と識別できる。


とまあ、あったなぁ・・。なんで変換しないのか?と幼いころは思ったけど。結局これはJW用語なんだろうか。

あっという間

 時が過ぎるのはあっという間だ、もう9月になってしまった。恐らく今年も大会とかがあったのだろうが、JWをしていない自分からしたら全く動きが分からない。たまに、実家の親から地元の会衆の様子を聞くことがあるが、それも本当にたまにだ。

 子供が出来て、家族がいると親も遠慮してきてなかなか踏み込んだ話をしてこない。一時期JWぽい話をしてきたことがあったので、キレてみた。証言をされたら、自分の嫁の性格からして断らずに聞いてしまいそうだったからだ。入信なんぞはしないとは思うが、やはり影響を受けるのが嫌だった。

 せっかく脱JWしたのに、変な形で外堀を埋められてまたJWに戻るなんて結末になるのはごめんだ。それに、JWもなんというか心がけやら倫理的な話を聞く分には害はないと思っているが、やはり生活習慣に影響を与えたり仕事の仕方に制約をもたらすところは癖のある宗教だ。

 自由気ままで土日は何も気にしないで旅行の予定を入れたり、昼まで寝ていたり出来るのも脱JWしたからだ。何が悲しくてMBAのような成果もないのに集会なぞに付き合ったり奉仕をしなければならないのだろうか。

 どうでも良い与太話の一つだが、実家の母親が私に電話である若い姉妹の話をしてきた。その姉妹は私も知っている。小雪みたいな顔した透明感がある綺麗な子だった。姉妹は、高校を卒業して、難関の試験を突破して地元で有名な企業へ高卒ながら入った。

 しかし働いて数年でそこを辞めて開拓者に。開拓者になって、効率が良くて働ける職場を、と祈っていたら、某財閥系商社の人たちが退社したあとに集うサロンの受付嬢のアルバイトが見つかったらしい。某財閥で働けるし、時間の融通はきくしで、これもエホバだわと親が言っていた。

 だけど、、、若くて見た目が綺麗で気が利く子ならば、別にエホバ関係なく採用されるし、第一、その採用だって所詮アルバイト。親は、某財閥だからということで、世でも立派に成功していると強調していたが、、、アルバイトを成功といわれても、と思い痛烈に反論しておいた。

 世の中の大企業で最前線の仕事をして百戦錬磨のつわものたちと切磋琢磨していたら、JWの中での活躍なんてアリがゾウに自慢をしているレベルの差がある。母親も世の中で働いていないので余計そういう格差が生まれてしまうのかもしれないが。

 そんなこんなで9月にもなったが、特段変わったことも無く、相変わらずの脱JW日記なのでした。