ムチにまつわるエトセトラ

Arlecchino2005-03-17

 ムチ・・・この言葉を聞いて身構えない二世は、最近の二世か若しくは形だけの二世と思われる。二世ともなるとムチは切っても切り離せない単語。色々な二世・元二世さんのサイトを見ているとムチについてこれでもかとばかりに、憎悪のコメントが寄せられている。まあ、そういう家こ子はそういう滅茶苦茶なムチをされたのだろう。だから憎しみも人一倍あるのだろう。
 私はといえば、殆どされなかったかと言えばそうではない。ものすごいムチをされた思い出がある。物心ついたあたりで、ムチ導入が決定されて幼稚園位から叩かれていた。最初は布団叩きとか、アクリル定規だった気がする。しかし、これが幼稚園児にとって痛いの痛くないのって。「痛い=泣く」の時代だから叩かれた後はとにかく泣いていた気がする。
 小学校に入ると悪さの盛り。幼稚園時代に増して悪いことをしてしまう。特に男児は親の目につく悪いことをしがち。泥だらけの靴を放置したり、家の中を散らかしたり、物を壊したり。女児はこの時期殆どこの手の悪さをしない。だから、あまりムチをされないのだが、それが後々大人になってから徒となる。
 とにかくよくムチをされた、集会中寝たとあってはムチ。奉仕の時遊んでいたとあってはムチ。人のことを指さしたとあってはムチ。言うことを聞かなかったと言ってはムチ。何がムチで何がセーフかは母親の適当な裁量だったので、ビクビクしていたのを覚えている。母がムチと言い出せば昨日までムチの扱いでなかった物事までムチに値する悪事となる。
 段々父親を抱き込んできた母はそのうち、父にムチを依頼することとなる。また、父が最初のうちは忍びないと思って、なでる程度にムチをして笑顔で「母さんには内緒な」みたいなコトしていてくれたのに、段々本気で叩くようになってきたからたまらない。父があの当時どういう心境だったのか私には解らないが、母と父が共闘して来たときはものすごく孤独感を感じたのを覚えている。もっともそんなときは兄や姉に愚痴って私の心の不満を解消していた。
 今でも覚えているのが私がした悪事*1が露見したとき、母親が一目散に飛んできてゴムホースで私をめった打ちにし始めた。お尻を叩くなんてもんじゃなくて、取りあえず手だろうが腕だろうが頭だろうが太股だろうが関係無しでめった打ち。
血が繋がってなかったら、訴訟すれば勝てるんじゃなかろうかと思うくらいに青あざができあがった。しかもその後で懇々と説教をされ、挙げ句しっかりズボンを下ろさせられてムチもされた。おまけに、帰ってきたら父にもしてもらうなどと訳がわからない構成。
 反復継続して同じ悪事を行っていた為、この子の悪さは直らないとして母親は「一日一回づつムチを増やす法」を勝手に可決した。この法の恐ろしいところは、その日何も悪いことをしていなくても、ムチが延々増え続けるというもの。一日平穏で終わりそうな、午後九時、そろそろ寝るかな・・と寝室に行こうとすると母親がニッコリ笑顔で「ムチよ」という。この人こそ悪魔なんじゃなかろうか?と何度思ったことか。さすがにこの法案は無茶があり、7日目位で終わったけど・・・幼子の身に7発の本気ムチはマジで痛いです。イエスの苦労が少しだけ解る気がする。
長くなりそうなので明日に送る。

*1:そんな悪事を・・・と引かれそうなので、悪事の内容は秘密。