ムチにまつわるエトセトラⅡ

Arlecchino2005-03-18

 そんなムチだけど、いつまで行われていたかというと私の場合高校に入る直前の中学期全般は行われていた。例の高校受験を巡って壮絶なバトルが繰り返されており、私の勉強しない姿勢に烈火の如く怒った母がムチのコンボを炸裂させた。当時体格が小さかったこともあり、中学でも母の勢いに気圧された所があった。とにかく受験で疲れているのに青あざもたまるとんでもない中学時代だった気がする。
 そこでぶっ壊れていないしトラウマになってないのは私が息の抜き方を知っていたのと、母親が一応真剣に怒ってくれていたからであろう。勿論女性なので、ヒステリックで叩かれたことも一回や二回ではない。だが、それを補ってあまりある愛情のようなものがどこかから感じ取れたから、子供側もぶっ壊れなくて済んだのだろう。でなければ、今こんな風に笑い話混じりで書くことなどできない。
 ムチといえば、ムチ隠しもよくやったものだ。叩かれたら嫌だから事前にムチを隠しておいて親が探しても見つからないようにする。ゴムホースはとてもしなるし痛いので、私としては定規とかズボンのベルトがいいのだが、ゴムホースがあるとそっちを使われる。だからよく隠しては、ムチがないから代替品のズボンベルトで痛くないムチを受けて罪の精算を行っていた。断っておくとズボンベルトも一応痛い。ゴムホースに比べたらましという程度。
 高校に入ったとき周囲のJWにムチをいつまでされたかと聞いたら、殆どが小学校低学年だという。アレ、自分だけ仲間はずれ?私も恥ずかしくなってしまい、ムチを受けたのがついさっきまでとは言えず高学年までということにしておいた。

ムチ論

 ものすごい私見だが、正当なムチ*1を受けた子は性根がまっすぐな気がする。勿論、これは本人だけでなく親の問題もあるのでその子を責めることはできない。正当なムチを受けていない子は、男女を問わず少しズレている人が多い。勿論社会生活上なんの支障もないのだが、人としてという目でみると少し疑問符。
 これは手段がムチかという事に限らず、正しい躾や懲らしめを受けたかどうかの問題だとは思う。女性はこの点あまり外面に悪さが表れないので、親にムチされることが少なく大人になる。大人になったとき、初めてそれが外に発露して人間関係などでトラブルを引き起こす。うちの姉もそういうことがあった。
 そういう点で、躾や矯正の為のムチは大事なのかもしれないと思う。私が将来親になるかは解らないが、なったならば聖書の原則に則った云々というのはさておき、人としての教育を施すのに自分なりに「ムチ」を制定したいなとは思う。昨今社会問題で躾と体罰の境目が問題になるが、私なぞ小学生・中学生時は担任からバッコンバッコン殴られていたので、あれくらいはしてもいい気がする。勿論背後には憎しみではなく愛が大事だとは思うけど。おお、くさいくさい。自分で言ってもくさい文書。

*1:感情でされるのではなく、悪事をしてそれへの罰としての愛がこもった適正量のムチ。