食事の交わり

Arlecchino2004-08-22

 そろそろ回顧が現在に近づいたので今日からは自分の現在の日記を付けることにする。
 今日は訪問講演者が来たため食事の交わりがあった。午前中の集会が終わった後、近くにある寂れた喫茶店で食事を招待することになった。寂れた喫茶店なのにわざわざそこで招待するには訳がある。そこの店主が再訪問先なのだそうだ。そこで、こういう機会に利用して少しでも店の売り上げに貢献してあげようという訳だ。
 訪問講演には2人若い兄弟が付いてきていた。そのお相手をすることになり、私を含め幾人かの若い兄弟が呼ばれた。講演者は大会でも話をするくらいの大物らしいが、私は元々東京の人間ではないので良く解らない。穏やかな口ぶりで如何にもといった感じの落ち着き振りだった。しかし、人間らしい生々しさがなくある種禅僧のような生気が無い顔立ちが印象だった。巡回監督にありがちなタイプといえばわかりやすいだろうか。であった。一緒に来た学生は中学生と高校生だったが、区域が田舎にあるらしく、世の中の汚れとは無縁のような絵に描いたJWであった。
 東京と一口に言っても23区外は田舎のようなものである。東京都○○市とついたら、大概田舎と思って間違いない。講演者達はまさにその○○市という所からきたのだった。隣の家が20分離れる所もあるというから、アメリカの田舎の様な所なのだろう。
 一緒に来た少年達は、口々に「エホバは素晴らしい」と言っていた。補助開拓を捉えたり、奉仕をいつもしたりして若者同士で励まし合っているらしい。まだ、世の中の事を何も知らない故なのか何も疑っていないようだった。
 確かに幼い頃から親に教わっていれば嫌でも信じてしまうし、生活の一部に入ってしまうのだろう。その少年達の目の中に自分の過去の姿を見た気がした。自分にも昔そんな時代があったことをふと思い出した。この子達もいつか知るのか・・・それともこのままなのか、どちらにしろ自分にとって正しい悔いのない決定をしてほしい。
 肝心の食事であるが・・・寂れた喫茶店であったので、当然まずかった。店の中は油まみれで椅子やテーブルはべとべと、出された料理は自分の家でもマシな物が作れそうな素人洋食。最近の健康ブームに乗っかったのか、麦飯を出されたりしたが全体的にパットしない料理だった。その場に集って食した誰もがマズイと思ったはずだ。
 おばさんやおじさんJWの上常套手段だが、エホバの証人にさせたいから、わざと店を利用するというのはちょっとどうなんだろうと思う。「美味しいですよご主人」と皆が口々に言ってそのお食事会はお開きになったが、お世辞もここにきわまれりだった。自分のプライベートでは絶対食べに行きたくない店だ。