ムチは虐待か?

 この組織にいたならだれもが幼い頃、一回は受けたであろうものがムチ。時代によって解釈が分かれて、肉体的体罰から、言葉で諭すだけまで色々な意味で使われるがここでは肉体的な罰という意味でのムチについて思い出したい。
 私も、幼い頃からムチの嵐に晒された。特に私が幼い頃親に意向に逆らうことばかりしていたためか、他の兄弟たちよりも多めにムチをされたのを覚えている。凄いときなど、10数発もたたかれることもあった。お尻を外れて、背中まで蚯蚓腫れになったりしたこともある。悪いことしてなくても、その傾向が読み取れるという観点でたたかれたりしたこともあった。傾向でしかるとは、もう、刑法の原則無視で完全に決め付け罰則だった。
 最近のJW二世Blogではムチは虐待という話もあるけど、自分の場合はそこまで酷い扱いを受けたもののあまりムチに対してトラウマはない。それは親が、真剣に怒ったかどうかがなんとなく分かったからだ。ムチ執行役は大概母親だった。女性だったからたまには母親もイライラというだけで怒ったこともあったけど、大半は一応自分が犯した罪への制裁としてのムチだった。そのお陰で、多少理不尽でも上が決めたルールには従わなくてはいけないという社会のどこでも見られる傾向・習慣にすんなり順応することが出来ている。
 親に感謝している、なんてきれいごとは言わないけど、ある程度意味を持って悪行の罰則として怒っているか、単に組織からやれといわれたから叩いたかは、その後の子供の成育に大きな影響を及ぼしているんだと思う。恐らくは、やれ、といわれたから無意味に叩いた親が多かったんだろう、その結果が虐待というトラウマを残すことになっている。
 親になった今でも、自分はムチ肯定派。もちろん虐待という意味ではなく。しつけという意味である程度の罰則は必要だと思う。聞き分けのいい子など存在しない。親は時として、罰則を与えなければならないときがある。その罰則は子供により変化すると思うけど。そのムチが嫌だからこの行いはしない、という思考回路を作るためにも、もちろん親としてたまには間違って叱ることもあるとおもうけど、それは権力による罰はたまに間違うこともあるという理不尽さも含めて学んでほしいと思っている。
 やはりムチを受けずに育った子、特に姉妹に多いけど、そういう子たちは大人になったとき性格がちょっと??な人たちが多かった。姉妹たちは性的な羞恥心的問題からも大概は、小学校低学年くらいでムチがなくなる。その後は口で言われるだけ。そういう子達は表面上は取り繕っているけど、大人になってからその年頃にしかられなかったゆえの歪が良く出ていた。男の子的いたずらをしない、というのも多いのだろうが、怒られなかったので我侭だったり、我が強かったり、性格が偏っていたり、一見するといい子なのだが、深く付き合うとそういう面が見えることが多かった。話を聞くと皆ムチを受けていなかった。
 特に、JW女子は部活も入らないから上下関係の厳しさや理不尽さにあまり直面することもない。怒られない、上下関係を知らされる場にもいかないでは、やっぱり性格はわがままになってしまうわけだ。
 あ、決して姉妹たちを否定しているわけではないけど。もちろん素晴らしい人たちも沢山いたので。でも、そういう人たちはたはりしかられていた。叱られるというのは男女問わず大切なことだと思う。体罰をOKという意味ではなく。やっぱり女子だろうが、ムチというか罰則は必要なんだなぁと思う。本人が一番堪えるやつをね。